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### 24.Dec.2,011 ###


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ニコライ遭難
吉村 昭 岩波書店

BOOKS REVIEW : 2010-022 / 海の史劇”の前日譚、と考えて差し支えないだろう。

後にロシア帝国ロマノフ王朝最後の皇帝となるニコライII世がまだ、
若き皇太子“ニコライ”であった時代、
シベリア鉄道のハバロフスク 〜 ウラジオストック間の起工式出席に先立ち、
弟のジョージ親王とギリシャ国のジョージ親王を伴って東洋諸国を歴訪。
旅の途中でロシア国ジョージ親王が体調を崩し、インドから帰国の途に就いたため、
ニコライ親王とギリシャ国ジョージ親王の2人を乗せたお召し艦『アゾヴァ号』
他5隻の軍艦が長崎に入港したのが、明治24年(西暦1,891年)4月27日の事であった。
(この他、『ヴラジミル・モノマフ号』が先行して訪日していたため、艦隊は7隻編成であった)
その後艦隊は鹿児島、神戸に入港し、皇太子ニコライらが京都周辺を視察した後、
東京で明治天皇に拝謁。 日露両国の友好関係を深めた後、ウラジオストックに向かう
手筈であったのだが ... 明治24年5月11日、京都周遊の際に立ち寄った琵琶湖からの帰路、
通りがかった大津の地で、皇太子の警備の任にあたっていた巡査の津田三蔵が、
事もあろうに警備対象である皇太子ニコライに官給のサーベルで斬り付けるという
一大不祥事が発生。 世にいう『大津事件』である。

本書は、皇太子ニコライの長崎来着から大津事件までの前半と、
津田三蔵の裁判と処分の顛末を描いた後半に大きく分けられる。
そのいずれもが、著者の感情の混入を徹頭徹尾拒むかのような
淡々とした文体で綴られている。
積み重なった事実を岩に刻むかのようなスタイルは正直、少々退屈だったが、
それも皇太子ニコライが大津に到着するまでで、後半はまるでジェット・コースター。
ロシアの報復を恐れ、超法規的措置で津田を極刑に処しようとする閣僚・元老派と、
あくまで日本の法律に則り、司法の独立を守ろうとする司法省司法官の面々の
駆け引きの件は息を呑む。 また、法曹界のみならず各報道機関においても
津田の死刑には反対であったという。 法治国家としての面目躍如であろう。

結局、津田三蔵が皇太子ニコライを襲撃するに至った動機の詳述や、
津田がサーベルを振り上げた瞬間の心の動きといった事柄に関しての描写は、
史実に記録された以上のものは無く、事実上無きに等しいと考えて良い。
恐らく当時の日本中に横溢していたロシアへの恐怖が、津田のサーベルに
焦点を結び、ニコライの頭部に集中したのだろう ... としか考えられない。

それにしても当時、日本にはロシアを恐怖するムードが濃かった反面、
ロシアでは親日的なムードが濃かったとの描写は新鮮であった。
また、御忍びで長崎に上陸したニコライが、名も知らぬ日本の少女に
簪をプレゼントするシーンや、大津事件でニコライを守った2人の人力車夫、
向畑冶三郎と北賀市市太郎が神戸港の『アゾヴァ号』に招かれた際、
ロシアの水兵達に囲まれて胴上げされるシーン等は、
描写が淡々としているだけに返って鮮烈であった。

無期徒刑(終身刑)で北海道に送られ、
到着後程なくして肺炎で命を落とした津田三蔵。
ロシアから高額な終身年金を送られる事になった結果、
日露戦争の勃発に因って国賊扱いされ、破滅した人力車夫の二人、
そしてロシア革命に因って人知れず処刑されたニコライII世一家。
そのいずれもが悲惨であり、涙を誘う。

日露戦争の講和条約中、『一握りの地も1ルーブルの金も日本にあたえてはならぬ』と
電報で厳命を送った際のニコライII世の胸に去来した想いは、何だったのだろうか。
READING PESOGIN
## 日本訪問時のニコライ皇太子の立派な挙措には驚嘆する以外ない。
## 当時、まだ22歳でしかなかったのに、
## 未来の帝王としての片鱗が端々に感じられる。
## その帝王が治める国と戦争をしなければならなかったのも運命か ...
## 戦争という行為がいかに愚劣であるかを示すエピソードでもある。


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