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ドン松五郎の生活
井上 ひさし 新潮社 / 新潮文庫 い-14-4

井上ひさしの作品を拝読するのはいつ以来だろう。
最後に読んだ作品が確か『偽原始人』だと思う。
もしかしたら四半世紀、いやそれ以上が過ぎているかも知れない。
本書の奥付を見ると、発行が昭和53年(= 1,978年)05月25日。
手元にあるのは昭和61年(= 1,986年)11月20日付けの第24刷である。
自分でも呆れたことに、約26年も書棚に積みっぱなしであったことになる。
心中、本書に詫びながらの拝読となった。

主人公ドン松五郎は、雑種の牡犬である。
3匹兄弟の末っ子として生を受けるが、生来の不器量が災いし、貰い手が現れなかった。
そのため、目も開かないうちに木箱に詰められ、川に流されてしまう。
危うく溺死する寸前、箱からの脱出に成功。 幸いなことに優しい女の子に拾われ、
彼女の家(文筆業の松沢家)で飼われることとなる。
ドン松五郎はその肩に牡丹の形の赤い痣、犬族にとっての『聖痕』を宿しており、
また耳学問ではあったかも知れないが教養も備えていたので、
やがて近隣の犬たちのリーダー的存在となっていった。
そして巻き起こる騒動の数々 ... といったストーリー。

端的に云って、夏目漱石の『吾輩は猫である』の主人公を犬に置き換えた
パロディ小説であることは明らかである。
きっと凡百の文筆家が同じような事を思いつき、
本書と同様な作品を書いてみようとした事だろう。
だが、それは予想以上に困難な創作活動であったことだろうと想像する。
なぜならば、猫は人に容易に馴染まず、ともすれば孤高を貫きがちである。
その視線は人間と水平、あるいは木の上のような高所から人間を見下したものとなり、
平気で人間批判を行う存在としてうってつけであろう。
対して犬は人間の最良の友であり、その視線は人間を、
まるで地面から見上げたようなものになりがちで、
人間批判論を展開する存在としては少々力不足であろう。

だからこそ、猫を主人公に据えた夏目漱石の慧眼が称えられるのだが、
あえて主人公に犬を据え、ユーモラスな語り口で人間批判論を展開した
井上ひさしの力量もまた、称えられて然るべきだと想う。

なにぶん古い作品で、しかも新聞小説として著された作品でもあり、
文中に挿入される時事ネタもまた古い。
なにせ田中○栄が首相であった時代の作品であるようだ。
そうしたハンディキャップはあるが、井上ひさし独特の、
ユーモアのオブラードに包まれた人間批判は色褪せてはいない。

古い作品なので入手は難しそうだが、機会があれば是非御一読を。
READING PESOGIN
## 井上ひさし氏の著作は面白いのだけど、
## ラストが切なく、もの悲しい作品が多い。

## ウチの駄犬も、せめて生きている中は
## 大切にしてやろうとしみじみ思った。


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