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### 24.Dec.2,011 ###


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ザ・コールディスト・ウインター
朝鮮戦争 (下)
デイヴィッド・ハルバースタム 文藝春秋

朝鮮戦争勃発前夜から北朝鮮軍の潰走までを扱った
“REVIEW 10-015 / ザ・コールディスト・ウインター(上巻)”の続巻。
下巻では、中国の参戦によって新たな局面を迎えた朝鮮戦争。
膠着状態に持ち込んで、辛うじて終わらせた戦争の顛末が描かれる。

『戦争はそれ以外の手段を以ってする政治の延長である』と述べたのは
プロイセンの軍事学者クラウゼニッツだったろうか。
考えてみれば戦争とは、政治によって遂行される究極の暴力である。
議会制民主主義国家においては、政党間抗争は日常茶飯事であり、
政権維持のための政策転換や妥協など、珍しいことではない。
一方の共産主義国家においては共産党の1党独裁政権が普通であり、
冷戦構造下においては共産主義諸国の間でもヒエラルキーが存在した。
スターリンのソ連、毛沢東の中国、金日成の北朝鮮は同じ共産主義国家ではあったが、
米国の当初の見立てとは違ってそれらは決して1枚板ではなく、
歴然とした力学的序列下にある寄せ集めの独裁国家群に過ぎなかった。
希代の独裁者スターリンの思惑に踊らされた北朝鮮と中国こそ、
よい迷惑だった事だろう。 僅か5年前の第2次世界大戦と違い、
敵味方ともに一枚板の政権下には無い状態での戦争であったのだ。
朝鮮戦争開戦時、『米国の参戦は無い』と判断した北朝鮮。
その判断を支持した中国とソ連。
対する国連軍司令部は『中国の参戦は無い』と読み、
潰走する北朝鮮軍を追って38度線を踏み越えてしまう。
朝鮮戦争は誤算の戦争とも云われるが、その最たるものがこれだろう。

朝鮮戦争を“民主主義”対“共産主義”の聖戦と捉えたマッカーサーは、
米国政府の戦争限定化の方針に従わず、中国との全面戦争も辞さぬ構えを見せる。
仁川上陸戦の成功に酔い、毛沢東政権下の中国の参戦は無いとの楽観論の下、
中朝国境の鴨緑江に迫る国連軍。 しかしその時点において、すでに中国軍は
鴨緑江を渡り、国連軍の荒い監視線の間隙をすり抜けて、
国連軍の背後を襲う体勢を整えつつあった。

中国軍(名目上は義勇軍)の参戦により、多数の死傷者を出した国連軍は、
奪還したばかりのソウルまで奪われることになる。
マッカーサー指令官を解任した国連軍側は体制を立て直し、人命損失を厭わぬ
人海戦術を繰り返す中国軍に、兵器の優位性を生かした戦術で対抗。
朝鮮半島という限定地域における消耗戦に持ち込むことで、
戦争の終結を迎えることになった。

朝鮮戦争を仕掛けたのは疑いも無く、金日成率いる北朝鮮ではあったが、
その影にはソ連の独裁者スターリンの思惑があり、中国の毛沢東はいわば
スターリンによって北朝鮮の助っ人にされてしまった形ではある。
もちろん内戦を制したばかりの共産主義国家中国にとっても、
民主主義国家が国境のすぐ向こう側に誕生してしまうような事態は
回避したかったという事情はあるが。

対する国連軍。 云うまでも無く、その中核はアメリカ軍であるが、
その指揮官、ダグラス・マッカーサーは太平洋戦争の英雄である。
だが、戦後僅かに5年の歳月は彼をして頑迷固陋な老骸と化し
共産主義国家を一掃するに足る戦力と行使権を保持しているとの
妄想世界の住人にしてしまう。

かくして世界は、野心家金日成と、独裁者スターリンに操られた毛沢東対
共産主義一掃の妄想に取り付かれたマッカーサーの対決を迎え、
限定戦争で終わらせる筈であった朝鮮戦争をして、第3次世界大戦の
勃発直前にまでヒート・アップさせるところであった。
それは当時の米国大統領トルーマンの監督不行き届きではあったかもしれないが、
あの『英雄』マッカーサーを戦時中に解任する英断を下したのもトルーマンであった。
遅きに失した感はあるにせよ、これは記憶しておくべきであろう。

また、あの時代、シビリアン・コントロールの旗の下、軍部をコントロールすべき
米国政権内部のダッチロールの様子は、複雑ではあるが興味深かった。
もし、第2次大戦中に、日本軍の敵であった蒋介石を米国が支援していなければ ...
もし戦後、腐敗の温床であった蒋介石を米国が見捨てていれば ...
あるいは蒋介石が清廉な政治家であれば ... それだけで未来はどう変わっていたのか。
無意味な問いかけではあるが、その想いは禁じえない。

たとえ妄想に近くとも、信念を持つという行為は悪いことではないと思う。
だが、それが他人に迷惑を及ぼす事態を惹起する時、
どこで可 / 不可の線を引くべきか。
“Die for Tie - 引き分けのための死 -”を合言葉に出撃し、
朝鮮の凍土に屍を晒した多くの若者を想う時、もう少し
どうにかならなかったものかとの疑問を感じずにはいられない。

朝鮮戦争はシビリアン・コントロールの原則から逸脱した戦争であった。
武官の最高責任者が、文官の最高指揮官である大統領の意思を無視し、
戦域の拡大(中国、ソ連との直接戦争)を画策したのだから、当然である。
続くベトナム戦と湾岸戦争(息子ブッシュが始めたイラク戦)は、
文官である政治家が、誤った情報の下、己の都合で始めた無意味な戦争であり、
シビリアン・コントロールからの逸脱という視点では
朝鮮戦争とは逆のパターンであるとの著者の指摘は的を射ている。

上下巻あわせて1,000ページ弱の本作品は、戦史であり、政治闘争史とも読める。
指揮と統御、あるいは指揮官の分限というテーマでも読み応えがある。
著者ハルバースタムの渾身の1作であり、著者の供養の意味も込めて、
是非御一読をお薦めしたい。
READING PESOGIN
## 冷戦構造下で初めて行われた戦争が朝鮮戦争であった。
## いわばベトナム、湾岸戦争の雛型であったはずなのに ...
## もっと研究されても良い素材だと思うのだが ...?
## 汲み上げるべき教訓は決して少なくないと思う。

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