これは、ちいさなものがたり。
ヒトラー率いるナチスの指導の下、一個の巨大な戦闘マシーンと化した、
戦時下の全体主義国家ナチス・ドイツにおいて、祖国の行く末を案じた
有意の人々が起こした地下抵抗運動組織『白バラ』。
彼らの選んだ抵抗手段は、現体制を批判したビラの配布。
啓蒙的な文章を広く配ることによって、政府の基盤を揺るがし、
国民ひとりひとりが独裁者に反対する機運を盛り上げようとする戦法。
ロシア戦線が崩壊し、急展開する戦況において、それは実情に見合わない、
気の長い方針ではあっただろう。 直接的な手段、たとえば政府首脳の暗殺等、
力に訴えることもできたろうに、ビラの配布という一見冗長な手段を選択したのは、
無用な犠牲者を出さないようにする配慮であったという。
ドイツ全土に広く配布された『白バラ』のビラは結局、
独裁国家を転覆させるに至らぬばかりか、ゲシュタポを捜査活動に
動員させた以上の効果はなかったように思われる。
しかし、それはただの結果論、
あの時代、自らの安全、いや生命も省みず、地下活動に挺身した愛国心と勇気は
立派であり、語り継がねばならないだろう。
本書は『白バラ』の中心的存在であり、『白バラの心』とまで呼ばれた女子大学生
ゾフィー・ショルの生い立ちから処刑までを描いた一篇である。
1,943年2月18日、ゾフィーと彼女の兄ハンスが、ミュンヘン大学の構内に、『白バラ』の
ビラを撒いたのを、大学の用務員ヤーコプ・シュミットに目撃されてしまう。
即刻ゲシュタポに摘発され、即事逮捕された彼女達は、4日間の尋問の末、
同年2月22日には人民裁判にかけられてしまう。
反逆準備および敵側幇助のかどで、即日下された判決は死刑および公民権剥奪。
手斧による断首刑が執行されたのは、判決直後の夕刻のことであったという。
翻って同時代の大日本帝国を省みるとき、『白バラ』のような草の根抵抗活動が
存在しただろうか。 著名人による反戦意見の開陳などはあったようだが、
時流と体制に押し流され、『白バラ』のような運動は不活発、ありていに言えば
皆無ではなかったか。 ナチス・ドイツ=ヒットラー、イタリア=ムッソリーニといった
明確なイコンが存在せず、戦争指導責任の所在があいまいであったにせよ、
長いものには盲目的に巻かれてしまう我が国の国民性ではむべなるかな。
これは、ちいさなものがたり。 だけどおおきな勇気のものがたり。
勇気とは、真の愛国心とは何かを考えさせられてしまった一篇であった。
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