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### 24.Dec.2,011 ###


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宮崎駿の仕事 1,976〜2,004
久美 薫 鳥影社

『宮崎さん』 ... とあえて表記させて頂く。
言わずと知れた日本アニメ界の重鎮であり、良心であるかもしれない。
『スタジオ・ジブリ』を設立し、独自の世界観を投影した美しい劇場作品を
多数発表されていることは、今更申し添える必要もないだろう。
その『宮崎さん』が作ってきた劇場用アニメ作品をふり返りながら、
そこに隠れている彼の人となりを探ろうというのが本書の趣向である。
具体的には『ルパン3世・カリオストロの城』から『千と千尋の神隠し』までの映像作品と、
漫画版『風の谷のナウシカ』から展開される『宮崎さん』論といったところか。

かなりの長編作品ではあるが、楽しく読めた。
展開された『宮崎さん』論には肯ける部分も多い。
『となりのトトロ』の舞台描写。 失われた昭和時代初期へのノスタルジーと
自分は納得していたが、日本の『村』らしからぬ、ウエットな人間関係が
省かれた共同体の描写は、言われてみれば確かに疑問である。
『もののけ姫』のストーリー展開の粗さ、といって悪ければ、
主人公『アシタカ』の行動の動機付け(行動原理)、
タタラ要塞を統べる女傑『エボシ』やヒロイン『サン』の経歴や負わされた背景、
彼女達と帝(天皇?)との関係などについて、説明不足な感は否めない。
言ってみれば、ストーリーが暴走しているのだ。
置き去りにされた観客は、ストーリーが充分租借できなくて、
消化不良を起こしているとの指摘は正鵠を射ているだろう。

だが、少々深読みのし過ぎというか、重箱の隅的な指摘と感じられた部分もある。
絵コンテと作画作業がパラレル進行で、いわば即興的であり、チーム全体の緊張感の
維持は容易になるだろうが、演出ミスの修整やリテークが時間的に難しい
『宮崎さん』メソッドの弊害もあるだろうが、映画として、
尺の制約等の影響も無視できないとは思うのだが ...

ややもすると『重箱の隅』的な指摘に堕するポイントはあるものの、文体からは
『宮崎さん』ブランドへの期待感、高揚感が隠しようもなく薫り立ってくる。
著者自身も『宮崎さん』のファン(しかも熱烈な)であることは明白で、
数々の指摘にも嫌味が感じられ無いのはその為だろう。
本書はいわば、『宮崎さん』への屈折したラヴ・レター、
俗な言葉を借りれば愛の鞭である。
* * * * *
これは『宮崎さん』論とは別の話だが、本書の巻末近くで指摘されている
日本アニメの内包している問題点を、ここに書き出しておきたい。
日本発のアニメーションを俗に『ジャパニメーション』と呼ぶが、
日本国内における『じゃぱにめーしょん』と、海外における『Japanimation』の
イメージは別物である、と云うのだ。
日本アニメが海外で人気を博したのは、扱う内容が多彩で、
放送しやすいという側面はあるだろうが、作品の質が高かったからではなく、
作品の単価が安かったからTV放映の機会を得たに過ぎない。 
暴力や性風俗描写に関する規制の甘い日本アニメは存外、
海外では白眼視されているようである。
また、英米等のある地域では、大友克洋のSFアクション『AKIRA』で
『じゃぱにめーしょん』が注目を集めたまでは良かったのだが、
現地のビデオ配給業者がその次に目をつけたのが、どういうわけか
18禁のエロチック・バイオレンス・ホラー『うろつき童子』であった為、
『Japanimation』=『18禁のエロス / バイオレンス』、海外において
いわゆる『HENTAI』として括られる作品群との認識が一般的であるらしい。
そのような認識が一般的な海外において、現地の常識に照らし合わせても
良識的な宮崎ブランド・アニメーションの存在は貴重であると云えよう。

この認識を踏まえた上で、某国の前首相がブチあげ、当時の野党からは
『国営マンガ喫茶』とまで揶揄された『国営アニメの殿堂』構想を見直すと、
我々は『Japanimation』の誤解を解く為の手段の一つを失ったと観るか、
国費で『HENTAI』を保存する変態文化国家として外国人に嘲笑される愚挙を
回避したと観るべきなのか、難しいところであるかもしれない。
READING PESOGIN
## なんだか久しぶりに『カリオストロの城』が観たくなってきた

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