そのタイトルから、なにかと酷評される中島飛行機製レシプロ・エンジン『誉』を
擁護する作品かと思ったのだが。
『誉』に関しては、古今より様々な人物による評価がなされている。 その中には、
『戦時の代用油である松根油で2,000馬力を発揮できるエンジンを開発すべきであった』などと、
奇跡を通り越した冗談のような論評を大真面目に述べる御仁もいらっしゃったが。
本書の『あとがき』で筆者が述べていらっしゃるように、確かにこの国では、
技術的な失敗談は矮小化され、個人の責任に帰着して事たれりとする風潮があると思う。
だが、それで良いのだろうか。 その時代の風潮や、属した組織の在り様、
その身を置いた(置かざるを得なかった)環境等にも着目し、多角的、総合的に
失敗の原因を探り、せめて教訓とすべきだろうという著者の主張は肯ける。
例えば『誉』の場合、世界最小の2,000馬力級レシプロ・エンジンを目指して
設計・試作されたものの、諸事情から量産機では所定の性能を発揮しえず。
その原因は、主任設計者である中川良一氏の設計ミスとする論評を眼にする事が多い。
だが、それはあくまで結果論だろう。 そして、結果には必ず原因がある筈だ。
本書はその疑問に答えてくれる。
本書は、希代の起業家中島知久平による中島飛行機の旗揚げから書き起こし、
太平洋戦争突入直前当時の日本の世相、中島飛行機の社風と同社を取り巻く環境、
同社の大社長であり代議士でもあった中島知久平のパーソナリティーにまで踏み込み、
官(軍)尊民卑であったあの時代に、いかにして『誉』が誕生するに至ったのか、
多角的な見地から述べている。
『誉』の失敗の原因を、一天才設計者の責任に矮小化する代わり、組織 / システムといった、
ある意味曖昧模糊とした『もの』に転化、発散させてしまったきらいはあるかも知れない。
だが、これこそが真実に一番近いのだと思う。
考えてみれば、日華事変 / 日中戦争でさえ、日本政府は軍の独走を追認するだけで、
戦火の収束の努力を放棄していたとしか思えないし、結果、太平洋戦争への一本道に
日本国家を追い込んでしまった。 そこにはシステマチックなチェック機能なぞ無く、
当然、日米開戦後のヴィジョンなど存在しようはずも無い。
この、国家指導者層の無責任さには今更だが呆れるほかは無い。
つまるところ、旧帝国陸海軍の仮想敵は米英国ではなく、陸軍は海軍を、海軍は陸軍を
限り在る国家予算を奪う敵として認識していただけで、外国と本気で戦争をする気なぞ、
はなっから無かったのではなかろうか ... ?
ある意味、その情報量は圧倒的であり、正直、私如きに論評できるような
作品では無いのかもしれない。
## ある意味、責任放棄かもしれない
本書は、『誉』の誕生経緯に関する、現在望みうる第1級のレポートであることは
間違い無く、『誉』に感心のある方には無条件でお薦めできる必読書である。
悲劇の発動機 ... 生まれた時代が悲劇だったのか、生まれた国が悲劇だったのか。
あるいは生まれた事自体が悲劇だったのか。 読後感は重い。
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