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### 27.Dec.2,011 ###
REVIEW 07-018
月をめざした二人の科学者
アポロとスプートニクの軌跡的川 泰宣 中央公論新社
中公新書 # 1566
軟らかい読み物が3冊続いたので、少し硬い物をと思い、読み始めた1冊。 タイトルにある『二人の科学者』とは、
ドイツのウエルナー・フォン・ブラウンと
ロシアのセルゲイ・パヴロヴィッチ・コリョロフのことである。フォン・ブラウンに関しては、私如きが今更語る必要は無いだろうが、
一応述べておくと ...幼少の頃から宇宙への夢を抱き続けていたフォン・ブラウンは、
高校生でありながらドイツのアマチュア・ロケット愛好者グループ
“VfR”(ドイツ宇宙旅行協会)に加入し、その才能を高く評価されていた。
大学生としての生活資金を捻出するためにタクシー・ドライバーの
アルバイトをしていた頃、二人の陸軍ロケット開発の中心人物、
ヴァルター・ドルンベルガ−とリッター・フォン・ホルスティッヒを
客として乗せたことが縁となり、ついには世界初の大陸間弾道弾、
A-4 ロケット(V2 号)の開発を手がけることとなる。- この辺りの事柄に関しては、
“報復兵器 V2 ; 世界初の弾道ミサイル開発物語”
(光文社 NF 文庫、野木 恵一著、ISBN 4-7698-2256-1)に詳しい -終戦間際、ソ連を嫌ったフォン・ブラウン一行は、アメリカ軍に投降。
膨大な資料と A-4 ロケット 約100発分の部品と共にアメリカに渡る。
ナチスの手先として白眼視された時代もあったが、
ソ連とアメリカの間で繰り広げられた
宇宙開発競争の一方の中心人物として活躍。
サターン V 型ロケットを開発し、人類初の月着陸を成し遂げた。宇宙開発競争のもう一方の雄、ソ連のロケット開発の中心人物に関しては、
ソ連の秘密主義もあってか、私個人に限って言えば、ほとんど知識が無かった。
本書で初めて概要を知ったようなもので、お恥ずかしい話である。後に、世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げる事になる
セルゲイ・パヴロヴィッチ・コリョロフは、フォン・ブラウンより
5歳年上の1,907年生れ。 フォン・ブラウンとは対照的な少年時代を送るが、
宙への志は共通であった。 モスクワ高等技術大学に進んだ彼を迎えたのは、
アンドレーイ・ツポレフであった。
大学の隣にはツァーギ(中央空気水力学研究所)が在り、
技師の資格を得たコリョロフは、ここでツポレフ製重爆撃機の
自動操縦装置の開発に携わることとなったが、当時の同僚に
モスクワのロケット愛好者グループ “GRID” のリーダーである
フリードリヒ・ツァンダーがいた。
同じ時期、レニングラードの気体力学研究所 “GDL” が発足。
政府のロケット研究機関として活動を開始した。
1,933年10月、“GDL”が“GRID”を吸収する形で反動推進研究所
“NRII” が発足。 コリョロフは副主任技術者として “NRII” に迎えられた。
ソ連のロケット開発の中心的機関となるはずの“NRII”であったが、
スターリンの粛清に遭う。 コリョロフも、6年に及ぶ収容所生活を
送ることになるのだが、この過酷な経験が彼の寿命を縮めることになる。
1,944年07月に開放されたコリョロフは、翌年の晩夏、赤軍の大佐に任命され、
ドイツのロケット兵器の情報を調査する任を帯びた。アメリカ同様、ソ連のロケット開発も、ドイツの A-4 ロケットを基礎に始まったのだ。
A-4 ロケットの開発責任者、フォン・ブラウンを押さえながら、
彼を“ナチスの手先”と白眼視し、ロケット開発から遠ざけたアメリカ。
ロケット開発のイニシアチブを争う陸・空軍の確執もあり、
アメリカの人工衛星打ち上げは遅々として進まない。一方のソ連は、スターリンの粛清や第2次世界大戦の痛手を抱え、
スタートこそ遅れたものの、コリョロフらの技術開発力もさることながら、
コリョロフの卓越した政治力もあって、ソ連はアメリカに先んじ、
人工衛星スプートニク、有人宇宙船ボストークの打ち上げに成功する。
ところが、スプートニクの打ち上げが成功した当時、ソ連共産党幹部には、
自国が成し遂げた偉業の意味が理解できる者など一人もいなかったのだ。翻って、アメリカ。 ソ連に人工衛星の打ち上げを先んじられ、
有人宇宙船の打ち上げさえも先行され、意気消沈してしまう。
もしソ連が、核弾頭を装備したロケットを量産、配備したら ...
その危惧が現実のものとなったのだ。焦るアメリカ。 そしてケネディのあの有名な演説が述べられたのだ。
『今後10年以内に人類を月に送る!』
... 我々は月を目指す! それが困難な目標であればこそ!!ここから始まった宇宙開発事業のデッドヒートに関しては、
今更述べるまでもない。 では、ソ連に先んじられたアメリカが、
どうして開発レースに勝利を収めることが出来たのか?
まず、誰が見ても納得するような、圧倒的な勝利条件を設定
(この場合は有人月面着陸)し、そのために必要な人的、経済的
資源を一元的に組織化、そして権限(と責任)を委譲したのだ。
具体的には、非軍事宇宙開発を行う目的で 1,958年夏に設立された
NASAに、有人月面着陸ミッションの全てを託したのである。一方のソ連はといえば、宇宙開発事業で一歩先んじていながら、
次く開発事業のビジョンが無く、またソビエト共産党の無理解もあり、
折角のアドバンテージを活かしきることができなかった。
また、ソ連版月面探査計画の準備中に、
コリョロフが亡くなったことも不運ではあった。
ソ連が自国の優位性を誇示せんがために始めた
宇宙開発レースであったはずなのに、有人宇宙船の月面着陸ミッションを
完遂したのはアメリカであった。 社会主義国の十八番であるはずの組織力で、
ソビエトはアメリカに敗れたのである。その後、両国ともそれ以上の宇宙開発事業に意義を見出せず、今日に
至っている。 そればかりか、社会主義国ソ連が地上から消滅してしまったのだ。
なんとも皮肉な話だが、これこそ歴史の醍醐味でもあろう。文章は平易。 やや整理され過ぎていて、平易に過ぎるきらいもあるが、
1,960年代の宇宙開発レースに感心がある方にはお薦めして
差し支えが無い1冊であろう。
REVIEW 07-018
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