'09年10月10日。 秋の柔らかい日差しの下で行われた航空祭。
当日は土曜日で、週末には新聞の休刊日もあったものですから、
小牧基地航空祭の公式な入場者数は不明ですが、個人的な感触では、
例年の7、8割程度の人出、といったところでしょうか。
その翌々日(10月13日)にはお隣の岐阜基地航空祭が控えており、
さらに1週間後の17日(土曜日)には、米軍のTHUNDERBIRDSが浜松基地に
やって来る ... とくれば、『祭りの目玉の無い小牧は控えよう』と思うのが人情でしょう。
おかげ様で、地上展示機をじっくり観察するには良い機会を頂いたような。
そこまでは理解できるのですが、不可解なのは『飛行展示は危険だから自粛せよ』という
いわゆる『地域住民の反対運動』。 いまどき航空機の爆音、爆風で窓ガラスが割れたり
瓦が飛んだり、牛が乳を出さなくなったりするほどのフライトを行うわけでも無し、
『飛行展示』が即『危険』と断定されてしまう根拠がよく解りません。
中華民航エアバス機・場内墜落事件等は、いまだ記憶に新しいことは否めませんが。
1,972年に小牧で行われた第3回国際航空宇宙ショーに呼ばれて、
わざわざ太平洋を横断した挙句、騒音問題などで飛行停止措置を喰らい、
『二度と来てやるものか』との捨て台詞を残して去っていった米海軍アクロ・チーム
“BLUE ANGELS”の呪い、と考えて諦めるしかないのでしょうか ... ?
基地側も事情はよく判っているようで、岐阜基地からF-15やT-7等を飛ばしてもらい、
基地上空をそーっとフライ・パスさせるなど、それなりの工夫を凝らしてはいたようでしたが、
正直寂しさは否めませんでした。
地域住民との感情的摩擦を怪傑するには相当な時間が必要であることは理解できますが、
地元・豊山町の英雄 ICHIRO の偉業達成に免じて(?)、
せめて“Blue Impulse”のアクロくらいは認めて頂きたかったものです。
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