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### 05.Nov.2,014 ###


“超時空要塞マクロス”と“N.A.S.M.”

インターネットのフリー百科事典“Wikipedia”からの引用で恐縮ですが、TV アニメーション
“超時空要塞マクロス”の放映が始まったのが1,982年10月03日の事だそうです。

原作が“スタジオぬえ”で、原作協力は“アートランド”。
メカニズム・デザインは“宮武一貴”氏と“河森正治”氏が担当し、F-14 似の架空戦闘機が登場。
また、キャラクター・デザインが“美樹本晴彦”氏とくれば、期待しないほうが無理。
早い段階から作画が崩壊して失望したのと、
放映時間が毎週日曜日の昼下がりだったのがネックではありましたが、
なんとか都合をつけて、毎週リアルタイムで観るようにしていました。
残念なことに、その年の12月中旬、仕事の都合で“マクロス”を放送していた
局の電波も受信できない地帯に移動することになってしまい、
ヒロインである“早瀬未沙”が、兄のように慕っていた想い人“フリッツ・ライバー”を探しに
火星表面の前進基地に降りるエピソード『バイバイ・マルス』あたりを最後に
視聴できなくなってしまいました。
再び視聴できる環境下に戻ってきた頃には、すでに“マクロス”の放映は終わっていて、
後番組の“超時空世紀オーガス”の放映が半分ほど進んでいたでしょうか。
そして翌年の1,984年夏。
“超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか”の劇場公開を迎えます。
この劇場版で私は満足してしまったのか、以後、TV版“マクロス”は幾度か再放送されたものの、
遂に全話を視聴することなく現在に至ります。

少し模型の話もしますと、1,982年当時、今井科学有井製作所が共同して、
矢継ぎ早にリリースしていた“マクロス”関連の模型を随分買い込んだものの、
買い逃したものも多く、『惜しい事をした』と、今でも後悔しているような按配です。
(移動先にもホビー・ショップはあり、店中に日本製スケール・モデルが溢れていましたが、
 日本のキャラクター商品は全く入荷しませんでした)
特に、あのお堅いイメージの“ニチモ”がリリースしていた“ピタバン”シリーズ
当時はバカにして見向きもしませんでしたが、もう少し買っておけば良かったかなあ。
特にマクロス放映25周年あたりに再販された“ピタバン”キットの仰天価格を見て、
その思いを強くした次第です。
## 思えばあの“マクロス”シリーズこそが、
## 今井科学の徹尾を飾る作品になってしまいました。
“超時空要塞マクロス”シリーズの模型に関してはまた、
別稿で触れることになると思いますので、この稿ではこれくらいにします。
TOY ROBOT small img.
“超時空要塞マクロス”と云えば、最初に思い出されるのはどのシーンでしょうか?

私はと言えば、乗機をパワーダイブさせたヒーローが、パラシュート等の救命装具も無しに
自由落下中のヒロインを空中でキャッチする
、あのシーンがまず目に浮かびます。
自由落下するリン・ミンメイと、一条輝が操縦するVF-1D、そしてカメラ(= 視聴者の視線)が
複雑に回り込み、絡み合い、そして落下する『あの』シーンといえば、御記憶の方も多い事でしょう。
同じシチュエーションは、その25年後に放映された“マクロス・フロンティア”でも踏襲されましたね。
ところで、“マクロス”のあの名シーンと同様のシチュエーションを、
ある映画の中に見つけることができる事を御存知でしょうか?

その映画を観たのは 1.983年08月。 アメリカ合衆国ワシントンD.C. で、でした。

“Capitol Hill”から“Reflection Pond”、“Washington Monument”、“Lincoln Memorial”を経由し
ポトマック川に至る、“White House”の前に拡がる広大な緑地帯とその周辺を“モール”と呼びます。
(ポトマック川の向こうは“Arlington National Cemetery”が拡がっています)
モールの周辺には“Smithsonian Institute”、スミソニアン協会の14の美術館、博物館から成る
博物館複合体“Smithsonian Museum”が点在していますが、その内のひとつ、
NASA の本局に程近い場所に在るのが“THE NATIONAL AIR & SPACE MUSEUM”
略して“N.A.S.M”です。
スミソニアン航空宇宙博物館』と申し上げればお判り頂けるでしょうか。
そこの IMAX theater で観た映画の一本に、このような作品がありました。
TOY ROBOT small img.
時は現代、所はアメリカの片田舎。
頂きに白い雪が残る山脈の、懐に広がる深い森を切り開いて敷いた一本道を走る、
古ぼけたピックアップ・トラック。
ステアリングを握る父親と、助手席に座るティーンエイジャーの息子。
そしてトラックが引っ張るトレーラーの荷台には、分解された F4U コルセアが。

彼らは根っからの飛行機一家で、母親を加えた3人で飛行機操縦学校を経営するかたわら、
映画用の飛行機スタントも請負い、余暇にはウォーバードのレストアを楽しむという、
日本では考えられない、羨ましい生業に就いています。
父親は戦時中、コルセアのパイロットで、傷ついて脚の出なくなった乗樹を
空母の飛行甲板に胴体着艦させて無事生還した経歴の持ち主。
息子は、そんな父親を深く尊敬する一方、父親に認めてもらいたくて無茶もする訳です。

ある日、一家に、映画用の飛行機スタントの撮影の仕事が舞い込みます。
カメラ・シップは父親の操縦するカーチス・ジェニー。
母親の操縦するカーチス・ジェニーに息子が同乗し、
息子が翼の上で行うパフォーマンスを父親がカメラに収めるのが仕事です。
母親の操縦するジェニーの主翼の上、特設された支柱に身体を結わえた状態で
ポーズを決めるパフォーマンスを行う息子。
撮影終了直後、予定にはなかったウイング・ウォーク
(飛行中の飛行機の主翼の上を歩くアクロバット演技)を行って、
父親に認めてもらおうとする息子。
支柱から身体を解いた瞬間、帰投するために母親が乗機をバンクさせたから、さあ大変。

パラシュート等の救命装具を全く身に付けていない息子になす術は無く、
自由落下状態で地表目がけてまっさかさま。
息子のピンチに気がついた父親は、すかさず自分のジェニーをパワーダイブさせ、
空中で複葉機の主翼の翼間支柱を息子に掴まえさせて、無事救出するというスペクタクル。


事後、険悪な状態に陥る父子のところに、またも映画のスタントの仕事が舞い込みます。
父親が経験した、コルセアによる空母への胴体着艦を再現する仕事です。
スタント・パイロットは息子。 空母の艦橋で見守る父親の眼前で、
息子は見事にスタントを敢行。 無事コルセアを胴体着艦させます。
その瞬間、心配そうに見つめていた父親の表情が緩みます。
父親が息子を、『漢』として認めた瞬間でした。

そしてまた二人は、ピックアップ・トラックに乗って仲良く田舎の一本道を走ります。
分解された F4U コルセアを乗せたトレーラーを引っ張りながら ...

ラスト・シーンは映画のオープニング・シーンに戻るわけです。
彼ら一家の幸せな時間は永遠に続くことを暗示するかのような、心憎いエンディングでした。
TOY ROBOT small img.
残念ながら映画のタイトルは忘れてしまいましたが、上映時間30分足らずの短編でした。
スミソニアンが博物館の IMAX theater 用に製作させた作品だと思います。

いかがでしょうか?
“マクロス”の『あの』名シーンによく似たシチュエーションではないでしょうか?

では、どちらかがもう一方を参照したのか?
その点に関する情報は、全く持ち合わせがありません
あのスミソニアンの IMAX theater 用映画がいつ製作されて、
いつ頃から公開されていたのか調べ様もありませんし、関係者に取材をした訳でもありません。
『よく似たシチュエーションを内包した2つの作品が、地球の表裏に同時期に存在した』
と証言はできても、それ以上の事は判断できませんし、そのつもりもありません。

ただ、“マクロス”の製作に先立ち、製作スタッフがイメージ・トレーニングの為(?)に
ワシントン D.C. のスミソニアン博物館を訪問したとの記事を何かで目にしたような ...
“マクロス”の製作スタッフにしてみれば迷惑千万な話ですが、
その程度のあやふやな記憶だけを頼りに、
妄想(邪推、のほうが近いかも知れません)を逞しくしているだけのはなしです。

もちろん特撮ではあるのでしょうが、一方は迫力満点の実写。
そしてもう一方は、自由落下するヒロインと、ヒロインを救出しようとするヒーロー、
そして観客の視点(= カメラ位置)が複雑に絡み合う、アニメ以外では不可能な表現手法。
両作品のシーンを同列に並べ、優劣を論じるのは無意味であり、無粋ですらありましょう。
## さらに言うなら、この稿自体が無粋の塊であるような ...
いまの私にできる事といえば、ワシントン D.C. で過ごした、あの夏の日々を懐かしむ事と、
“超時空要塞マクロス”の『あの』名シーンを記憶のなかで反芻する事でしょうか。

いつか、叶うことならいま一度、ワシントン D.C. のモールをそぞろ歩きしてみたいものです。

SMITHSONIAN MUSEUM PATCH img.
*** アメリカ土産のパッチ3種 ***


“超時空要塞マクロス”と“N.A.S.M.”

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